東京生化学研究会 60周年記念誌
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~東京生化学研究会から学んだこと~ 元同僚の石館先生に、湯島のM&Dタワー19Fの私の部屋で「難治研の所長には、頼むことになっているから」、「ハイ、喜んで」と、アジア地域招聘国際共同研究助成金の審査委員を引き受けました。 その趣旨は、私が所長時代に手掛けた文科省の「若手研究者の自立的研究環境整備促進」と通じるものがありました。 これは、今のテニュアトラックのスタート事業で、難治研は、「海外で活躍中の若手20数名を5年15億の経費でテニュアにする」というものでした。 最終結果は散々のC判定でしたが、システムの改善を重ね、全員、教授を含むテニュアポストを得ることが出来ました(5年以上かかりましたが)。 アジア地域招聘国際共同研究助成金の申請者は、誰もが世の中の役に立つ研究の夢と野望を持っていました。 私自身、難治疾患を“治す”ことを目指していたのに、基礎に偏って世に問う応用研究を忘れていました。 また、当時の難治研は、医理工薬の異分野融合によるオミックスとケミカルバイオロジーを柱に生命情報学教育部・研究部を作りました。 その際には、現専務理事の長野哲雄先生には大変お世話になりました。 (公財)東京生化学研究会は、当時の私に多くのことを学ばせてくれたのです。 選考委員会の際に楽しみにしていたことがあります。 それは、選考の前にいただくお寿司と芳賀さんが入れてくれる美味しいお茶です。 石館先生が皆さんに振られる話題がいい肴でした。 そして終了後、京橋から東京駅まで寒かったり雨が降っていたりの道を歩いたことを懐かしく思い出します。 今後は、「(公財)中外創薬科学財団」と名称が変更されますが、若手育成と薬を世に出す研究でますます発展されることを切望致します。北嶋 繫孝(財団現選考委員)東京医科歯科大学名誉教授医療法人光恵会光山医院山口・光の郷山口院長0841960-2020 TBRF-60th CHAAO-10th

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