東京生化学研究会 60周年記念誌
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長野専務理事バイオ製品に関して豊富な経験があったわけではないのですね。●永山理事長 その後、岸本先生(現大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授/大阪大学名誉教授)がサイトカインの一種であるIL-6の単離、遺伝子クローニングに成功し、中外製薬の大杉研究員の提案で1986年から共同研究を始めました。 共同研究を進めるうちに抗体でないと上手くいかないということになって、研究員を派遣して抗体のヒト化技術を習得し、抗IL-6受容体抗体のヒト化に成功しました。 後期臨床試験用の治験薬製造や商用製造のために、大型の抗体製造設備も必要となりました。長野専務理事丁度この時期にヒトゲノム全解読が完了しました。 この辺りはどのように考えられたのですか。●永山理事長 ご記憶の通り、2000年にヒトの遺伝子の塩基配列コーディングがほぼ終了したと言われ、クリントン・ブレア宣言が行われました。 そういう知見をベースに大きく生命関連の研究が進み、画期的な薬剤が開発されると想定され、二十一世紀は生命の世紀と言われたのですね。 1998年頃には、今後バイオ創薬に必要な研究開発投資が大型化すると想定し、中外製薬がバイオ創薬で闘うには準備が必要だと考えていました。 ロシュとのアライアンス前の中外製薬の研究開発費比率は20%程度でしたけれども、これから始まる世界との闘いということになると、当時の研究開発規模ではまかなえないと考えられました。 バイオ創薬投資を強化しない限り置いていかれてしまうというのは明白だったので、そこを増強するためにアライアンスが必要であると考えたわけです。長野専務理事バイオ研究の更なる強化をいかに行うかが課題という事ですね。 それが合併につながっていくのでしょうか。●永山理事長 日本にはバイオ創薬を手掛けている会社がほとんどなく、アライアンスの相手としてはバイオに強い海外の企業が考えられました。 この発想で目を海外に向けていくつかの会社のトップと会い、適切なパートナーを探しました。 ヨーロッパでバイオの研究開発製造が一番進んでいるロシュ社は、アメリカでは世界的なバイオ製薬企業であるジェネンテックを所有していました。 中外製薬とロシュ社が組めば、かなりのシナジーが生まれるだろうと考え、最終的にはロシュと組むことを考えました。長野専務理事合併して中外製薬の存在自体が消滅してしまう危機感はなかったのでしょうか。00沿革抄余録/理事長インタビュー次ページにつづく→031

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