東京生化学研究会 60周年記念誌
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東京生化研の思い出 「生化研」という言葉は私には魔法の言葉です。 思いっきり研究し、思いっきり遊び、思いっきり飲み、とにかく楽しんだ思い出が一挙に溢れてきます。 落合英二先生門下の東大薬化学の岡本敏彦教授のもとで博士となり、ニューヨーク州立大学Stony Brook校のKosower教授、次いでChicago大学のKaiser教授のもとで合計3年過ごし、帰国時期が近づいたときに岡本先生から就職先は決めてあるからすぐ戻れ、とのお達しでした。 石館守三先生門下の薬品分析化学出身の(財)東京生化学研究所、岡田正志所長にお目にかかりました。 長野哲雄先生も岡本先生のお弟子さんで、今度の東京生化研専務理事に就任されたとのことで、不思議な縁でつながって居ります。 発癌性ニトロサミンの発癌機構を明らかにすることを目的に鈴木恵眞子さん、安生孝子さん、そのほかの先生方との努力で代謝活性化体のα-ヒドロキシニトロサミン体を単離し、競争しておりましたドイツのPreussmannさんとアメリカのKeeferさんから、おめでとうの一言をいただきました。 松井道夫先生と橋本嘉幸先生には後に私が共立薬科大学教授として移動した時にもお世話になりました。 ポリアミン研究の鮫島啓二郎先生とは深いお付き合いで、二人とも何よりもヘボ将棋が好きで、毎日、昼休みの残り時間を使って指し継いでおりました。 時間内に終わらない時には指し掛けとして休憩室の一角において、次の日に続けるということを飽きずに続けており、皆さんは呆れておりました。 研究のほかによく飲み会にも行きました。 事務局長の崎玉直彦様と鮫島先生、白幡晶さん、飯吉稔さん、出川雅邦さん、その他の先生方とも高田馬場の街をよく飲み歩きました。 また事務局には岡田先生の好みかと思いますが、岩崎恵津子さんや杉田由美子さんから始まり、現在の芳賀美保子さんに至るチャーミングな女性が沢山いらして、当時から今に至るまで、東京生化研へ行く楽しみの一つでした。  とにかく沢山の方々のお世話になり、この年まで楽しく生きてこられたことを心から感謝いたします。望月 正隆(財団元評議員)山陽小野田市立山口東京理科大学学長111東京生化学研究会60周年に寄せて

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