東京生化学研究会 60周年記念誌
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人生をかえた師との出会い 治療の甲斐もなく死を迎える子供を看取るのは、医者としても辛いことで、ましてや母親にとっては耐え難い苦悩だと思います。 そのような子供たちに、自分はいったい何が出来るのかと何度となく考え、また悩んだものです。 ある時、私が担当していた再生不良性貧血の子供を次々と失いました。 そのときの虚無感と失望感は今でも深く心に残っています。 私は必死でこの病気の治療法がないかを調べていくうちに、Lancetという雑誌に骨髄移植が唯一、治癒が期待できる治療法でこれはアメリカですでに臨床応用されていることを知りました。 早速、筆者に手紙を書き、一年後に彼のところに弟子入りすることになりました。 筆者は、後にソ連のチェルノブイリ原発事故の治療に当たったアメリカの医師団の団長を務めたUCLAのRobert Peter Gale教授です。 彼は東海原子力発電所事故の際も日本政府の要請を受け、何度も来日しております。 教授は臨床にも研究にも極めて厳しい方です。 私の研究テーマは再生不良性貧血の病態をウイルスDNAとヒト造血幹細胞培養実験から解析する事でした。 教授は新たなプロジェクトを開始する際は、いつも実験が実現可能かを十分検討したうえで、はじめて共同研究者をリストアップし研究期限を定めて開始するスタイルでした。 研究カンファレンスは、多忙な臨床の合間をぬって毎週行われ、実験の進捗状況を発表し、そのつど問題点を指摘されました。このカンファレンスを通して研究に対する姿勢、発表方法、議論の仕方、文献の読み方、学会参加の準備、研究費の申請方法など数多くのことを学ぶことが出来ました。 この経験が私の研究に対する取り組み方の基礎になりました。 多くの学会への参加、共同研究者に会いに行く機会も数多く設定してくれました。 本当に感謝しています。 Gale教授は常に「本当に信用できる論文は臨床でも研究でも少ないものだ。 どれだけ多くの論文がいい加減なものであるかを君は考えたことがあるか。 研究者がどれだけその研究に真剣に取り組んだか想像したことがあるか。」と教授からは研究の傍ら臨床も大変細かく指導して頂きました。麦島 秀雄(財団元評議員)日本大学名誉教授1101960-2020 TBRF-60th CHAAO-10th

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